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栃木県栃木市の浮気調査について

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栃木県栃木市について

栃木市(とちぎし)は、栃木県の南部にある人口約16万人の市。栃木県内人口は宇都宮市、小山市に次ぐ第3位。市街地には蔵造りの家屋が並ぶ街並みが保存されていることから小江戸、小京都、関東の倉敷などと呼ばれ、観光地としての人気も高い。また、市南部にはラムサール条約登録湿地に指定されている渡良瀬遊水地を保有している。

概要

江戸時代には市内を流れる巴波川を利用した江戸との舟運と、朝廷から日光東照宮へと派遣された使者(例幣使)が通行した例幣使街道の宿場町として盛えた商都で、「小江戸」の別名を持つ。戦災を免れたため、歴史的な寺院のほか、市街地には江戸時代から明治時代にかけての蔵や商家などが多く残っており、「美しいまちなみ大賞」を受賞している[1]。こうした歴史資産を観光資源化し、関東地方では埼玉県川越市や千葉県佐原市(現・香取市)とともに小江戸サミットを開くなど「蔵の街」として知られ、「関東の倉敷」とも呼ばれる。また、市西部にある太平山からの景色は「陸の松島」として観光名所ともなっているほか、市南部の渡良瀬遊水地・谷中湖は小型ヨットやウィンドサーフィンに適しており、賑わう。また、貴重な植物が数多く生息している。こうした市内の観光名所には、年間約200万人の観光客が訪れている。

また、国や県の各種出先機関や裁判所などの行政機関が集まるなど、栃木県南部における行政都市としての性格を持つ。このほか、廃藩置県後の一時期には旧栃木県(現在の栃木県南部と群馬県の一部)、および宇都宮県との合併後の栃木県の県庁所在地であった。

さらに、前述した渡良瀬遊水地付近には、全国でも珍しく平野部に存在する[2]三県境(群馬県、埼玉県との県境)があり、県境マニアの間で話題になっており、2016年現在は県境が正式に決定した為、新たな名所として名を馳せている。

都市名の由来
現在の栃木市は旧・栃木市の名称を引き継いだものである。なお、旧栃木市から由来する「栃木」は、栃の木に由来するという説や、神明宮の社殿の10本の千木(ちぎ)にちなんで「十千木」(とちぎ)と称したことによるという説など、さまざまな説がある。

市章のデザインコンセプト
緑色の4本のラインは「自然」、「歴史」、「地域」、「人」を表し、青色はこれらが1つとなった大河の流れを、その先にあるオレンジ色の円は輝かしい未来と人々の情熱を表している。また、いままでの歴史を受け継ぎ、明るい未来へと続くイメージを栃木市の「と」の文字をモチーフに表現している。

歴史

前近代
江戸時代には、栃木宿が設置されたこともあって、利根川水系の巴波川を利用した舟運により、江戸方面と今市・日光・足利など内陸方面とを結ぶ物資の集積所となり、商都として栄えた。

年表
1323年(元亨3年):皆川氏6代目皆川宗常は鎌倉幕府の執権北条高時にそむき、領地を没収され小山氏の所領になる。
1394年(応永元年):小山氏の一族である皆川氏が、下野皆川庄(現・栃木市皆川城内町)に皆川城(法螺貝城)を築く。
1566年(永禄9年):北条氏政に攻められるが撃退する。
1578年(天正6年):再び北条氏政に攻められるが撃退する。
1590年(天正18年):豊臣秀吉の小田原征伐の際に皆川城が上杉軍、真田軍に落とされる。
1591年(天正19年):皆川広照が本格的に栃木城を構築する。皆川城は廃城となる。
1609年(慶長14年):松平忠輝事件に連座し皆川広照は改易され、栃木城は廃城となる。
1613年(慶長18年):阿部善八郎と加藤喜助によって検地が行われ、江戸幕府の直轄地(天領)、旗本領、大名領などに細分される。
1684年(貞享元年):大老・堀田正俊が暗殺されると正俊の次男・正虎が下野国大宮(2万石)を分与され大宮藩を立藩する。
1688年(元禄元年):奥高家の畠山基玄が下野国都賀郡内の領地(1千石)を管轄するために陣屋(畠山陣屋)を設ける。
1694年(元禄7年):堀田正虎の兄・正仲が死去。遺領相続のため陸奥国福島藩に移封し、大宮藩は廃藩となった。
1705年(宝永2年):戸田忠利に加増され所領として明治維新まで足利藩に属する。
1842年(天保13年):上総国五井藩主であった有馬氏郁は下野吹上(現・栃木市吹上町)へ移封され、吹上藩が立藩する。
近現代
1871年8月29日(明治4年7月14日)の廃藩置県を経て、同年12月25日(明治4年11月14日)に行われた府県再編で下野国のうち南部5郡(都賀郡、寒川郡、安蘇郡、足利郡、梁田郡)および上野国南東部3郡(山田郡、新田郡、邑楽郡)を管轄区域とする栃木県が設置され、同県の県庁所在地となった。

その後栃木県は、1873年(明治6年)6月15日に下野国北部4郡(河内郡、芳賀郡、塩谷郡、那須郡)を管轄していた宇都宮県を合併した。1876年(明治9年)8月21日には上野3郡が熊谷県内の上野11郡と合併し群馬県へ移るが、この間も引き続き栃木に県庁が置かれていた。しかし、様々な理由[注釈 1]により1884年(明治17年)1月に県庁が宇都宮へ移された。

年表
1871年(明治4年)12月25日(旧暦11月14日):廃藩置県後の府県再編により栃木県が設置され、県庁が置かれる。
1884年(明治17年)1月:県庁が宇都宮へ移転する。
1888年(明治21年)5月22日:両毛線小山 - 桐生が開通し、栃木駅が開設される。
1895年(明治28年)3月8日:両毛線富山駅(現・大平下駅)が開設される。
1896年(明治29年):栃木県尋常中学校栃木分校(現・栃木県立栃木高等学校)が開校する。
1901年(明治34年):栃木県下都賀郡立栃木女子高等学校(現・栃木県立栃木女子高等学校)が開校する。
1907年(明治40年)4月30日:栃木県下都賀郡立栃木農学校(現・栃木県立栃木農業高等学校)が開校する。
1917年(大正6年)4月1日:栃木実業補習学校(現・栃木県立栃木商業高等学校)が開校する。
1929年(昭和4年)4月1日:東武日光線杉戸(現・東武動物公園) - 新鹿沼が開通し、藤岡駅、栃木駅(東武)、新栃木駅、合戦場駅、家中駅、東武金崎駅が開設される。
1931年(昭和6年)
8月11日:東武宇都宮線新栃木 - 東武宇都宮が開通する。
11月1日:東武日光線に新大平下駅、東武宇都宮線に野州大塚駅が開設される。
1944年(昭和19年)10月1日:東武宇都宮線野州平川駅が開設される。
1947年(昭和22年):日立栃木サッカー部(現・栃木ウーヴァFC)が創部される。
1951年(昭和26年)11月:栃木市歌が制定される。
1960年(昭和35年):國學院大學栃木高等学校が開校する。
1962年(昭和37年)4月21日:栃木県立栃木工業高等学校が開校する。
1965年(昭和40年):國學院大學栃木短期大学が開学する。
1969年(昭和44年)4月1日:栃木市立大宮中学校と栃木市立国府中学校が統合され、栃木市立東陽中学校が開校する。
1972年(昭和47年)11月13日:東北自動車道岩槻IC - 宇都宮ICが開通し、栃木IC、都賀西方PAが開設される。
1974年(昭和49年)
1月1日:栃木県立栃木養護学校(現・栃木県立栃木特別支援学校)が開校する。
5月7日:県立太平少年自然の家が開設される。
1975年(昭和50年)
4月1日:栃木県立藤岡高等学校が開校する。
4月10日:栃木バイパスが全線開通する。
1977年(昭和52年)4月8日:栃木市立南小学校が開校する。
1980年(昭和55年)10月13日 - 10月17日:第35回国民体育大会「栃の葉国体」(ハンドボール、フェンシング)が開催される。
1983年(昭和58年)
7月1日:栃木市郷土参考館が開館する。
10月1日:栃木市文化会館(現・栃木市栃木文化会館)が開館する。
1984年(昭和59年)4月1日:栃木県立栃木南高等学校が開校する。
1986年(昭和61年)5月15日:ジャスコシティ栃木(現・イオン栃木店)が開店する。
1987年(昭和62年)
2月26日:中洲親水公園が開園する。
7月15日:出流ふれあいの森が開園する。
1990年(平成2年)11月:福田屋百貨店栃木店が開店する。
1993年(平成5年)8月:全国高等学校総合体育大会(インターハイ)が開催される。
1995年(平成7年)2月:とちぎ山車会館が開館する。
1996年(平成8年):國學院大學栃木中学校が開校する。
2000年(平成12年)
5月17日:東武栃木駅が高架化される。
7月27日:北関東自動車道栃木都賀JCT - 宇都宮上三川ICが開通し、栃木都賀JCT、都賀ICが開設される。
2003年(平成15年)
3月15日:とちぎ蔵の街美術館が開館する。
4月4日:JR栃木駅が高架化される。
2005年(平成17年)4月1日:栃木県立学悠館高等学校が開校する。
2006年(平成18年)4月1日:栃木県立栃木南高等学校と栃木県立藤岡高等学校が統合され、栃木県立栃木翔南高等学校が開校する。
2010年(平成22年)3月29日:栃木市、下都賀郡大平町、同郡藤岡町、同郡都賀町の1市3町が新設合併し、新栃木市となる。
2010年(平成22年)4月1日:栃木ウーヴァFC、JFLに加入する。
2011年(平成23年)10月1日:上都賀郡西方町を編入する。
2012年(平成24年)7月9日:嘉右衛門町(泉町、嘉右衛門町、小平町、錦町、昭和町の各一部)が重要伝統的建造物群保存地区として選定される。
2014年(平成26年)2月10日:市役所本庁舎を福田屋百貨店栃木店跡地へ移転[3]。
2014年(平成26年)4月5日:下都賀郡岩舟町を編入[4]。
2015年(平成27年)9月9-10日:平成27年9月関東・東北豪雨が発生。市内において初めて大雨特別警報が発表。市内各地において大規模な冠水が発生し、避難勧告がなされた。
2015年(平成27年)11月3日: 県内において初めてのコミュニティーFM、FMくらら857が開局。
2015年(平成27年)11月13日: 栃木市栃木文化会館に於いて市制5周年記念式典を挙行。同式典にて市の木、花、鳥及び歌を制定。
沿革
とちぎし
栃木市
廃止日 2010年3月29日
廃止理由 新設合併
栃木市・下都賀郡大平町・都賀町・藤岡町 → 栃木市
現在の自治体 栃木市
廃止時点のデータ
国 日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 栃木県
団体コード 09203-7
隣接自治体 小山市・佐野市・下野市
上都賀郡:西方町
下都賀郡:岩舟町・大平町・都賀町・壬生町
栃木市役所
所在地 栃木県栃木市
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1889年4月に下都賀郡栃木町、藤岡町、大宮村、皆川村、吹上村、寺尾村、国府村、谷中村、三鴨村、赤麻村、部屋村、富山村、瑞穂村、水代村、家中村、赤津村および上都賀郡西方村、真名子村がそれぞれ町村制を施行し、1906年に谷中村が藤岡町に編入合併、1937年4月には栃木町が市制を施行し、旧・栃木市になる。

旧・栃木市は「昭和の大合併」により1954年に近隣の大宮村、皆川村、吹上村、寺尾村を編入合併、1957年には国府村を編入合併し市域を拡大した。その後、各町村は合併や町制施行を行い、1994年に合併前の1市4町の形となった。

平成の大合併により、2010年に旧・栃木市、下都賀郡大平町、都賀町、藤岡町が新設合併し新栃木市を発足させた。

2010年(平成22年)3月29日:旧・栃木市、下都賀郡大平町、藤岡町、都賀町が合併し、新栃木市が成立する。
2011年(平成23年)10月1日:上都賀郡西方町を編入する。
2014年(平成26年)4月5日:下都賀郡岩舟町を編入する[4]。
旧・栃木市
1937年(昭和12年)4月1日:市制を施行し、栃木市となる(単独市制)。
1954年(昭和29年)9月30日:下都賀郡大宮村、皆川村、吹上村、寺尾村を編入する。
1957年(昭和32年)3月31日:下都賀郡国府村を編入する。
2001年(平成13年)7月1日:下都賀郡都賀町と境界変更。
2004年(平成16年)7月1日:下都賀郡大平町と境界変更。
2005年(平成17年)2月1日:下都賀郡都賀町と境界変更。
旧・大平町
1956年(昭和31年)9月30日:下都賀郡富山村、瑞穂村、水代村が合併し、大平村が成立する。
1961年(昭和36年)11月3日:町制を施行し、大平町となる。
1992年(平成4年)7月1日:下都賀郡岩舟町と境界変更。
1994年(平成6年)12月1日:下都賀郡岩舟町と境界変更。
2004年(平成16年)7月1日:栃木市と境界変更。
旧・藤岡町
1906年(明治39年)7月1日:下都賀郡谷中村を編入する。
1955年(昭和30年)4月1日:下都賀郡藤岡町(旧)、三鴨村、赤麻村、部屋村が合併し、藤岡町(新)が成立する。
1990年(平成2年)6月1日:下都賀郡岩舟町と境界変更。
旧・都賀町
1955年(昭和30年)4月1日:下都賀郡家中村、赤津村が合併し、都賀村が成立する。
1963年(昭和38年)11月3日:町制を施行し、都賀町となる。
1992年(平成4年)7月1日:上都賀郡西方村と境界変更。
1998年(平成10年)12月1日:上都賀郡西方町と境界変更。
2001年(平成13年)7月1日:栃木市と境界変更。
2005年(平成17年)2月1日:栃木市と境界変更。
旧・西方町
1955年(昭和30年)4月27日:上都賀郡西方村(旧)と真名子村が合併し、西方村(新)が成立する。
1992年(平成4年)7月1日:下都賀郡都賀町と境界変更。
1994年(平成6年)10月1日:町制を施行し、西方町となる。
1994年(平成6年)12月1日:上都賀郡粟野町と境界変更。
1998年(平成10年)12月1日:下都賀郡都賀町と境界変更。
旧・岩舟町
1889年(明治22年)4月1日:町村制の施行により、畳岡村・下津原村・静村・鷲巣村の区域をもって岩舟村が発足。
1956年(昭和31年)9月30日:岩舟村が小野寺村・静和村と合併し、改めて岩舟村が発足。
1962年(昭和37年)4月1日:岩舟村が町制施行して岩舟町となる。
1990年(平成2年)6月1日:藤岡町と境界変更。
1992年(平成4年)7月1日:大平町と境界変更。
1994年(平成6年)12月1日:大平町と境界変更。

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